スワンプ・ロックと聞いてイメージするのは、泥臭くてさ、南部っぽさ…今回のミッドナイト・ランブル・ショーでは、スワンプ・ロックがどこからやってきて、どこへ行ったのか、ということを考えてみました。
今回のジングルです。
ご来場の皆さんには下記のようなオミヤゲ・カードをお配りしました。副読本としてどうぞ。
1966年から簡単に振り返っていくと、ブルース・ロック全盛のUKにペットサウンズが影響を与え、サージェント・ペパーズを聴いたUS勢がサイケに移行し、それに反目、もしくはサイケになりきれなかった面々がアメリカのルーツに回帰、R&Bやブルースのノリ・楽器をロックに取り入れた、と考えられます。
「ビッグ・ピンク」も実は同じような考え方で構築されていて、それを聴いたUK勢が「いとしのレイラ」や「オール・シングス・マスト・パス」といったスワンプ的名盤を結実させるという、まさしく大西洋を挟んだキャッチボールによりスワンプ・ロック/ルーツ・ロックは発展していったのではないか、というのが今回のM.R.S.の結論なのでした。次回はスワンプと同時代に成長を遂げたカントリー・ロックについて。
プレイリストからの厳選&MRSからのレコメンドです。
スワンプといえばやはりこのアルバム。アサイラム・クワイアーというブリティッシュ・インヴェイジョンの影響丸出しのバンドを経て…ここまでたどり着いたというのがすごい。タジ・マハール・バンドの一員としてロックンロール・サーカスに出演しUK勢の衝撃を与えたジェシ・エド・デイヴィスと、サザン・ソウルのスタジオを支えていたボビー・ウーマックが共演している、というのも重要。
アサイラム・クワイアーつながりで、レオン・ラッセルを。レッキング・クルーの一味でもあり、故郷オクラホマのタルサ出身のミュージシャンを盛り上げようと尽力したスワンプ兄貴。そして、バーバンクサウンドの創世記にも大きく関わっていた才人なのです。
スワンプ代表格、デラニー・アンド・ボニー・ブラムレット夫妻。白人差別に敗れ去ったものの、実はエレクトラからのデビュー前にソウルの名門・スタックスにアルバムを残していたのです。
ディランとザ・バンドの地下室での記録「ベースメント・テープス」。フォークミュージックとロック、そしてザ・バンドの面々の研究対象であった南部音楽との融合が試みられた実験室でもありました。このテープの海賊盤が世に出回ったことで、アメリカのルーツ回帰は加速した、とも言えます。
ジャッキー・デシャノンの1968年作「ローレル・キャニオン」は最も早いLAスワンプとも言えますが、実は同じ時期にジャッキーはマッスル・ショールズに出向き、ボビー・ウーマックと録音しています(シングル1枚のみで他はお蔵入り)。
クリーム解散直後の1968年12月中旬、エリック・クラプトンがこのアトランティック産名盤の録音に参加しています。まだブラインド・フェイスもデラニー・アンド・ボニーも先の話。すわスワンプ研修生か!?